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LIVEで見ていた「あの日」・・・・・5年の歳月

5年前の今日、私は何処にいたでしょう?

もちろん、セカンドハウスでくつろいでいました。

3月12日があーちゃんの誕生日、毎年、この日を挟んで数日は、石川に滞在が私の年間行事になっていましたから。

あーちゃんが学齢に達しないまでは、夫も一緒に来てたけど、だんだん足が遠のいてしまったわ。

5年前のこの日、やっぱり夫はお留守番してたな。

 

地震は、離れた土地なのに揺れたんですよ。

でも、地震の軽い揺れは、慣れてしまっているので、さして心配もしていませんでした。

その後のつなみ、ちょうどミヤネ屋を見てたんですね。

画面がかわって、緊急放送が・・・・・・・・。

まさかね、あんなに堤防・港に押し寄せ登っていく黒い波など、私にとっては想像を絶するもの、目が離せなくなりました。

家が流され、車が流され、その光景が恐ろしくて、体が震えます。

 

結局、翌日の朝までテレビを見続けました。

どうなってしまうんだろう・・・・・と。

 

「あの日」から数日間、日本はパニック状態でしたね。

政治家も、新聞もテレビも、未曽有の災害に慌てふためいて・・・・・

なにしろ、地震だけでも大きいのに、津波、放射能漏れと続きましたもの、三重苦です。

5年たって、復興したのでしょうか?

地震と津波だけなら自然災害だもの、悲しみは大きいけどいつか立ち直れます。

でも、

放射能汚染は、町も村も崩壊させました。

人口は、戻りません。

5年は、人にも町にも大きい変化がありました。

 

私に出来ることは、何かあった時に協力、そして「あの日」を忘れないことだと思います。

風化しちゃいけないですね。

    .。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。.                                         

 

ここ数年は、お誕生日でも行くことはありません。

プレゼントだけ。

あの時、私はS状結腸がんを手術した翌年、命の儚さを感じていました。

それが今。

夫のがんに、同じ思いをしています。

5年は、変わっていないようで、普通の暮らしでも変化はあります。

実感しています。

 

 

 

 

 

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日々」カテゴリの記事

コメント

ちるみさん、こんばんは^^

>私に出来ることは、何かあった時に協力、
>そして「あの日」を忘れないことだと思います。
ちるみさんと同じこと
私も考えて、今日を過ごしましたよ。

今日はオフ会で仲間と一緒でした。
3.11のあの日に仲間の一人が犠牲になったことを皆で祈ったのです。
それができてとても良かったと思っています。

ご主人様のお体やお仕事のことも、
支えているちるみさんの事も、
いつも見ていますよ^^

今を生きているから、
色んなことが思えるんだと言えますよね。
今日は家族の存在を感じる日だなぁ~って、言いながら過ごしてます。

投稿: 菜菜 | 2016年3月11日 (金) 20時59分

ちるみさん、こんばんは。

あの日、私は1人で自宅に居ました・・3時半に予約してあった歯医者に行く為に着替えをしようとした所でした。

強い横揺れが襲い長く続き凄い怖い思いをしました・・川崎は震度5弱でしたが揺れた割には物が倒れたり壊れたりとかは有りませんでした。

ちょうどテレビを見ていたところで何処が震源かと思ったら東北だという事で、これは大変な事になったなあと思ってると、やっと揺れが収まり直ぐに会社にいる夫と次女から連絡が入り、お互い無事を確認しあった後はテレビから流れる、おびただしい津波の映像に釘付けになり、この世のものとは思えない光景に、これは現実なのかと強い衝撃を覚えましたね。

地震大国、日本はいつ何処で起きても不思議ではなくなりましたよね・・ちるみさんの所は南海トラフ巨大地震だし私の所は首都直下地震が想定されてるからね。

生きている間には起きて欲しくはないけど東日本大震災から5年が経ち自分達の事として心して置かないといけない時代になったのかも知れないね。

何か今日1日は心にズンと重しが乗ってる様な気持ちで過ごしましたね。

投稿: ホワイトタイガー | 2016年3月12日 (土) 00時25分

こんにちは。

五年前の昨日は私は某資格の取得のために
一生懸命勉強してしました。
こちらも揺れました。
東京に勤めていた娘に電話してもつながらず
夕方やっとつながり電車が動かず自宅に帰れないとの事。。
同僚の家で泊まられるかもしれない。
ても長時間の歩きになる。
私にとってはやっと授かった初孫が胎内にいた時期。
心配しました。
その孫も今年は年中になります。

東北の少しでも早い復興を願っています。
今はなるべく東北産の物を買っている毎日です。

投稿: チャッピー | 2016年3月12日 (土) 09時21分

菜菜さんへ

「あの日」に、自分を置いて考えた時、その辛さが痛いほどの辛さとして意識できますよね。
耐えられない、痛みだと思うんですよ。
家族が犠牲になったらなおさら・・・・。

私なんて、あれほどの苦痛はありません。
病気の別れは仕方がないこととして、それは受け止めています。
娘の家族問題も、悲しみはありません。
当事者じゃないしね。

菜菜さん、どこの家にだって、大かれ少なかれ隠れた悲しみはありますよね。
私の分はそれだけ。

東北の人の悲しみって、理解を超えてるような気がするんですよ。
忘れないでいることしか、その身になってあげられない、、、無力ですね。

投稿: ちるみ | 2016年3月12日 (土) 19時58分

ホワイトタイガーさんへ

やっぱり、ホワイトタイガーさんの家は、愛がある家ですよね。
地震があったら、旦那さんや娘ちゃんから電話が入るの?
すごい幸せじゃん!

私は、テレビを必死に見ていたけど、石川はまだ普通の日常でしたね。
娘は、保育園に子供を迎えに行きました。
夫は、名古屋でボウリング?こんな惨状なのに、私が電話した時も軽く考えていたんですよ。
東南海地震、私地方は何時か大きな地震に襲われる確率高いですよね。
関東も、直下型地震・・・・
何時被害者になるのかも、分からない明日ですね。

私、海岸に建てられた防波堤の壁、なんか違うなぁって思う。
余計、悲しくなりました。

投稿: ちるみ | 2016年3月12日 (土) 20時16分

チャッピーさんへ

離れていても、それぞれに思い出の一日になった日ですね。
東京は、交通がマヒしてて、帰省ラッシュ、停電、妊娠中の娘ちゃんは、大変な一日になってしまいましたね。
もうお孫ちゃんは年中、5年は早いです。

チャッピーさん、どんな資格を取られたのかしら。
学ぶって憧れます。

復興、遅いですね~~~。
とても大掛かりで、細やかな部分が抜けているように思うの。
あの造成地、埋まるかな?
前に進めない人たちにも、暖かい手を差し伸べてほしいね。


投稿: ちるみ | 2016年3月12日 (土) 20時30分

こんばんは。

この日は私は東京に居たんです。
娘は仕事に行ってたので、姉と二人だけだったんですが、あの時のことは生きてる限り忘れないでしょうね。
娘も仕事先から徒歩での帰りでしたし、主人からは娘が帰って来るまで電話が鳴りぱなしでした。

この3ヶ月後に姉が亡くなったので、2011年と言う年は私には忘れられない年になったんです。
いろんな意味で悲しい年だったんですよ。


投稿: かのこ | 2016年3月12日 (土) 22時38分

かのこさんへ

おはようございます♪

大変な一日だったんですね。
東京の帰宅ラッシュの話は、ニュースでやっていたので知っていますが、ご主人さんも娘さんが帰るまでは、さぞ気をもんでいたでしょう・・・。

そうか・・・
5年前は、まだお姉さんが生きていらっしゃったんですね。
かのこさんにとって、命を身近に感じた日、忘れたくても忘れられない日になってしまったね。
辛い2011年が、心に刻まれたんだね。

投稿: ちるみ | 2016年3月14日 (月) 07時55分

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